病気のせいにしない。

2013.03.07 Thursday

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    だいぶ治まってきたけど、まだ完治とは言えない私の皮膚の炎症(アトピー)について。
    気づいたことを書いてみます。

    人が違えば同じ症状といえども原因が異なっているのが、治りにくいとされる病気の特徴だと思います。

    私の炎症の場合は、精神的なことが大きく関係しているということが、五年間いろいろ試したり観察してきて気づいたことです。


    今日大切だと感じたこと。
    それは、
    「自分が今やりたいこと、やるべきこと、できること、を行動に移さないことの理由に、病気を使わない」
    ということです。

    「なりたい自分」
    になる為の努力をしていないことへの後ろめたさを隠す為に、
    「病気のせいでこれができない」
    という言い訳をしない。
    (※これは、私の母がやってきたことでもあります。
    今も会いに行けば、いかに母の身体が弱いか、どれだけ日々しんどいかを延々と語られる。
    身体の不調をアピールして、何もしないことの言い訳にしているのです。)


    例えば10年後の自分を想像する。
    頭は考える…
    こんな風になっていたい けど、そう慣れなかったらどうしよう(不安)。
    理想に近づくにはかなりの努力が必要だ。(苦行?への恐れ)
    から、自分や他人への言い訳として
    「病気であれば誰からも文句を言われまい」
    という方向へ。
    無意識のうちに自分で自分を病に陥らせている部分がある気がします。

    治りたい、治したいと一生懸命想っている裏に、
    治りたくない、治したくない、という真逆の想い。

    努力の行動に伴う苦労や、
    努力したけどそれが実ら無かった後のことを心配して。

    そもそも、行動に伴う苦労って、そんなに恐れるほど凄まじいものなのだろうか?
    どうして私は、行動にそんな苦労が伴うに違いないと思い込んでいるのか。
    ここはこれから向き合ってみようと思う。

    「努力しても私の要望は叶わないであろう」
    という思い込みは、
    幼少期の経験から獲得したものだというのを何かで読んだ。
    自分の望みが通らない、
    叶わなかった時の絶望感を味わわないように、
    落胆しすぎて死にたくならないように、
    脳は私を守ろうとしてくれている。

    きっとこれまでは必要だったこと。
    いろんなことを知った今からは、自分で自由自在に守ればいい。

    「こうならなければいけない」
    なんてものは存在しない。
    それは、自分ではない誰かの為に生きているということ。

    「こうなりたい」
    があるだけ。
    自分の為に生きる。

    やりたくないことは、無理して我慢してやらなくていい。
    皮膚にわざわざ症状を出さなくても、
    辛いな、と感じたら休息をとればいい。
    考えが変われば、いつでも進む向きを変えればいい。

    誰が「自分の為に生きてはいけない」って命令して私を縛った?
     
    子猫を拾った。すぐ捨ててきなさいと怒られた。
    諦めきれなくて、数日自分の部屋でミルクをやったりしてかくまっていたが、バレた。
    母はやはり激怒して、今すぐ捨ててこいと言った。
    一緒に拾った友だちには知らせてからとお願いしたが、
    あんたは友だちに相談しないと何もできないのかとなじられた。
    友だちに会うことも辛くなったし、猫が心配でたまらなかった。
    何もできなかった無力感。
    それは、何の知識も経験もない未熟な子どもだった時の話。
     
    親が間違ったことを教えることは多々ある
    ということが今はよくわかる。
    自分も含め、身勝手な感情に任せて行動をとる大人がいかに多いことか。

    今は誰も縛ることはできない。
    自分が選んできたことが全て。
    まわりの人や環境のせいにしない。

    私が今何を選択して何をするかは自由だ。

    生き方や考え方の見直しを問いかけてくる私の身体。
    ありがとう。



     
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